ヴァジアソンの流派

カポエイラ・アンゴラ(capoeira angola)

 ヴァジアソンのカポエイラのスタイルは、アンゴラ、ヘジオナウ、コンテンポラニアという3つのカテゴリーで言うと、アンゴラ・スタイルです。 ただしメストリ・カンジキーニャ、メストリ・ブラジリアの流れをくみ、技術的にも思想的にも非常に自由度の高いアンゴラです。

 「いつも笑顔を絶やさず、動きは優雅に、かつ負けないカポエイラ」がモットー!私たちのカポエイラは、すべてのスタイルに対応し、どんなグループの誰とでもカポエイラを楽しめるための練習を心がけています。

 またヴァジアソンのレッスンでは、カポエイラに加えて、メストリ・カンジキーニャから継承しているサマンゴ(横蹴りのみを使うゲーム)、サンバ・ジ・アンゴラ(足払いのあるサンバ)やサンバ・ジ・ホーダの練習も行っています。


メストリの系譜(genealogia de Shinji Kubohara)

 「どこから来たのかを知らなければ、この先どこへ進んだらいいかも分からない」。

 カポエイラでは自分の師匠やそのほかの先人たちを敬い、その遺産を継承することの重要性が説かれます。一方でカポエイラは師匠のふんどしでするものではありませんし、誰に習ったかよりも、当人が今何をしているかのほうが重要なことは言うまでもありません。自分のメストリの無名を恥じたり、メストリが有名だから自分まで偉くなったように勘違いするのは、どちらもナンセンスだと思います。

 とはいえ「お前のメストリは誰だ?」というのはカポエイラ界で常になされる質問ですので、久保原からさかのぼれる3代前までのメストリたちを紹介しておきます。

           
          メストリ・アベヘ:Mestre Aberrê(1895-1942)


 カンジキーニャをはじめ、カイサーラ、オンサ・プレッタの師匠とされる。 ノローニャやアモルジーニョが取り仕切っていたジェンジビーハのホーダにパスチーニャを連れて行き、当時カポエイラから遠ざかっていたパスチーニャの復活のきっかけを作った。

 サルヴァドール中の有名なホーダの常連で、楽器や歌にも優れていたとされる。非常に血気盛んなカポエイリスタとしても知られ、パルキ・オデオンのリング上でビンバと行ったパフォーマンスは観衆の万雷の喝さいを浴びた。

             

           
       メストリ・カンジキーニャ:Mestre Canjiquinha(1925-1994)


 そのビリンバウの腕前、群を抜く歌のレパートリー、ホーダの中の陽気なパフォーマンスで多大な尊敬を集めたカポエイリスタ。

 カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞したブラジル映画の傑作『パガドール・デ・プロメッサ(O pagador de promessa)』のほか、 巨匠グラウベル・ホシャの『バハヴェント(Barravento)』など数多くの映画にもカポエイリスタ役で出演、カポエイラの世界的な普及に貢献した。

 カポエイラにサンバ・ジ・ホーダ、マクレレ、プシャーダ・ジ・ヘジなどを合わせたフォルクローレ・ショーの分野でも第一人者の一人。クビシェッキ大統領の前で公演するなど、メディアに最もよく登場したカポエイリスタでもあった。

             

           
          メストリ・ブラジリア:Mestre Brasília(1947-)


 カンジキーニャの弟子として現役でカポエイラを教えている数少ないメストリのひとり。パウロ・ドス・アンジョスと同期、ジェニ、ネコ、ルーア・ハスタらの兄弟子に当たる。 サルヴァドール時代は、ショー・グループの中心メンバーとしてカンジキーニャを支えた。カンジキーニャが創出したサマンゴ、サンバ・ジ・アンゴラについてはほぼ唯一の継承者。

 60年代後半にサンパウロに移住後、スアスナとともにコルダゥン・ジ・オウロを結成。現代にいたるカポエイラの世界的な普及の礎を築いた。 ゼ・ジ・フレイタス、ジョエル、オンサ、シウヴェストリ、ジウヴァン、リマゥン、ピナッチらとともにサンパウロのメストリ第一世代を担い、「サンパウロでのカポエイラの普及を期待する」としてビンバから委任状を授かる。

 サンパウロ州カポエイラ連盟、ブラジル・カポエイラ連盟でも要職を歴任。サンバ、カポエイラのショーで70年代、80年代に来日経験あり。

             

           
            久保原信司:Liberdade(1971-)


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